昨日NZに帰ってきた。
今回の帰国は計23日。3週間なので、今までの帰国の日数の中でもっとも短かったけど、普通に会社に勤めてて、これだけの休みを取れることに感謝するべきなのだろう。
 
空港までは、ままりんとぱぱりんが送りに来てくれたけど、こうやって、つらい別れを繰り返すたび(カレーは鳴ったものの…)、人間の幸せってなんだろうと思ってしまう。

親と一緒にいるっていうことは、健康であることと同じで、一緒にいられなくなってはじめてそれがないことの不幸に気づく。
 日本に一緒に住んでいた20数年の間、ずっと一緒にいられた間は、ごくごく当たり前だった一週間が、ものすごく貴重になる。

 ほんとに今の私の日本での過ごし方というのは、余命いくら、といわれて人の行き方と同じだと思う。

今回の場合、余命3週間。

3週間で、いったいどれだけの友達と会い、食べたいものを食べ、ままりんと一緒にいられるか、という闘い。
 それがすぎれば、間違いなく私はもう日本にはいないわけだから。

余命3週間だとしたら、いったい何を食べますか?

 食べたくないものを食べている余裕なんかない。どんなに頑張っても、人間一日3食+おやつ2回が限界なのを思い知らされる。
チーズ蒸しパンとか、コージーコーナーの安いシュークリームとか、長芋の千切りとか、そんなもの、1年か2年に一度しかチャンスがないとしたら、日本に居た間ならそんなに頑張って食べないようなものまでイトオシイ。

全ての知り合いに会う時間はない。人にあう日はほとんど午後と夜、分けてできるだけたくさんの人と会う。そんないっぱいいっぱいのスケジュールでも、私のために時間を割いてくれる人たちは誰か。

 そこにいられるタイムリミットははっきりしている。どんなにつらくても、帰りの飛行機にはのらなければならない。その貴重な1日1日を、どうやって過ごすか。

 ずっとぼんやり毎年すごしていたら、知らずに済むこうした激しい感情の起伏がある。

 まさに余命いくらかの気分です…。

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ria

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