ちょっと風邪気味。この予算の忙しい時期に〜っ
佐世保の事件、びっくりしました。
日本のワイドショーは、またその話題で持ちきりなのでしょうか。お父さんがほんとうにかわいそう。
前は暴力的な小説やら漫画やらに反対する人がいても「だからといって、それ見て人殺す子供がいるわけないし」なんて思ってたけど、そうも言えなくなっちゃいます。
********************************
…それで、自分が小学校の時のこととか、ずいぶん思い出したりした。
何かの新聞か雑誌で、子供にストレスが多いことが1つの理由にかかれてたけど、いつでも、子供だって、仲間はずれにされたらどうしようとか、そういうストレスは多かれ少なかれ抱えているのであって、それとは関係ないと思う。まだ本当に仲のいい、安心していられる友達ができないだけに、私は小学校のころが、対人で、一番ストレスがあった。
中学高校で仲間はずれになる子には、なにかしら納得する理由があったけど、小学校では、深い理由もなく、仲間はずれにされたりするから。
今小学校時代を思い出しても、小学校ではほとんどいい思い出はない。鮮明におぼえているのは傷つけられたことばかりだ。
頭にリボンをつけていっただけで、ぶりっ子と言われすぐにほどいてポケットにしまったこと。ロッカーの上に出しっぱなしになっていたポスターカラーをしまわなかった犯人にされて、つるし上げられたこと。
男の子ばかりをひいきする先生で、同じことをしたのに女子だけさんざん怒鳴りつけられて、みんなで授業ボイコットしたこと。
それでも、私は成績がよかったから、先生には他の子よりはよく扱われていたほうだったけど。(変な先生だからうれしくはなかったけど)
同級生は幼稚だったし、先生は異常だったし(ひいきしたり、意味不明なことで怒鳴ったり)、4年から通っていた塾のほうが数倍楽しかった。塾ではみんな頭もよかったせいか早熟で話があったし、塾の先生は授業もとてもうまくて楽しかったし(小学校の先生とは比較にならない)、休み時間にいつも一緒に走り回って遊んでくれた。
今考えると、あの夏期講習の真夏の12時〜1時までの1時間、塾の前の公園で、エネルギーにあふれた小学5.6年生と毎日汗だくになって一緒に走り回ってくれた塾の先生たちには頭が下がります。今の自分が先生になっても絶対無理だと思う。
そのくらいの年の時は、私は自分なりに「馬鹿な大人(先生くらいしか知ってる大人はいないから、馬鹿な先生、ということだけど)」がどれか、はっきりわかっていて、私が大人不審にならずにすんだのは、そのときの塾の先生たちのお陰だったと思う。
高校は卒業はしたくなかったけど、小学校は、もういかなくてすむのがうれしかった。
私はその後、私立の中学に行ったので、そのときの同級生たちとはほとんどあったことがない。
でも、今は同窓会があったらいってみたいと思う。
佐世保の事件、びっくりしました。
日本のワイドショーは、またその話題で持ちきりなのでしょうか。お父さんがほんとうにかわいそう。
前は暴力的な小説やら漫画やらに反対する人がいても「だからといって、それ見て人殺す子供がいるわけないし」なんて思ってたけど、そうも言えなくなっちゃいます。
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…それで、自分が小学校の時のこととか、ずいぶん思い出したりした。
何かの新聞か雑誌で、子供にストレスが多いことが1つの理由にかかれてたけど、いつでも、子供だって、仲間はずれにされたらどうしようとか、そういうストレスは多かれ少なかれ抱えているのであって、それとは関係ないと思う。まだ本当に仲のいい、安心していられる友達ができないだけに、私は小学校のころが、対人で、一番ストレスがあった。
中学高校で仲間はずれになる子には、なにかしら納得する理由があったけど、小学校では、深い理由もなく、仲間はずれにされたりするから。
今小学校時代を思い出しても、小学校ではほとんどいい思い出はない。鮮明におぼえているのは傷つけられたことばかりだ。
頭にリボンをつけていっただけで、ぶりっ子と言われすぐにほどいてポケットにしまったこと。ロッカーの上に出しっぱなしになっていたポスターカラーをしまわなかった犯人にされて、つるし上げられたこと。
男の子ばかりをひいきする先生で、同じことをしたのに女子だけさんざん怒鳴りつけられて、みんなで授業ボイコットしたこと。
それでも、私は成績がよかったから、先生には他の子よりはよく扱われていたほうだったけど。(変な先生だからうれしくはなかったけど)
同級生は幼稚だったし、先生は異常だったし(ひいきしたり、意味不明なことで怒鳴ったり)、4年から通っていた塾のほうが数倍楽しかった。塾ではみんな頭もよかったせいか早熟で話があったし、塾の先生は授業もとてもうまくて楽しかったし(小学校の先生とは比較にならない)、休み時間にいつも一緒に走り回って遊んでくれた。
今考えると、あの夏期講習の真夏の12時〜1時までの1時間、塾の前の公園で、エネルギーにあふれた小学5.6年生と毎日汗だくになって一緒に走り回ってくれた塾の先生たちには頭が下がります。今の自分が先生になっても絶対無理だと思う。
そのくらいの年の時は、私は自分なりに「馬鹿な大人(先生くらいしか知ってる大人はいないから、馬鹿な先生、ということだけど)」がどれか、はっきりわかっていて、私が大人不審にならずにすんだのは、そのときの塾の先生たちのお陰だったと思う。
高校は卒業はしたくなかったけど、小学校は、もういかなくてすむのがうれしかった。
私はその後、私立の中学に行ったので、そのときの同級生たちとはほとんどあったことがない。
でも、今は同窓会があったらいってみたいと思う。
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