今日も引続きいい天気!
今日はダンスもないし、だんな様も仕事で出ていたので、やっとゆっくり昼まで寝て、そのあとも青空の下で読書(もちろん日陰)などして、のんびりすごしました。
今日読んでいたのは森博嗣の犀川先生のシリーズ。
京極さんはシリーズ2作目のころから読み続けてきたけど、「文系の京極、理系の森、っていわれてるんだよ」といわれて、興味をもったので、1年くらい前から読み始めた。
確かに、面白いと思うけど、今のところ、(森博嗣はシリーズ最後までまだ読んでいないものの)私は断然京極さんに軍配。
私も完全なる文系人間だから、京極さんの思考のほうが、ずっとしっくりくる。中善寺さんとならつきあいたいかもしれないけど、犀川先生とはあんまりお付き合いはしたくない…
というか、元カレが、犀川先生とまったく同じような理系の天才だったので、懲りたというのが正解…
犀川先生やその知り合いの理系人間たちの思考方法を見てて、文系人間との違いを目にするたびに、「ああそうそう、だから私とは分かり合えなかったのよね」とか「そー!たしかによくこんなわけわかんないこといってた!」とか、元カレの研究室の知合いにあったとき感じた奇妙さとか、言葉で理解しあおうとしない彼らのナゾの思考方法とか、そんなものがまじまじと思い出されて…
(それでも分かり合えないなりに、そのときは好きだったけど、常にそういう絶対分かり合えないストレスはあった)
そうして見てきた研究所にいる理系人間たちは、森さんのように自分たちのことをこんなふうに言葉で表現できる、またはしようとする人はあまりいないと思うので(犀川先生の助手が、いっさい挨拶をしないのにも現れてるけど、理系人間は、言葉を軽視しがち。元カレとけんかして黙り込まれたとき、「なんでもいいから、今あたまで考えてること口にしてよ!」とキレたら、「いま言葉使って考えてなかったから無理」と本気でいわれたときのショックはいまだ忘れられない)そういう意味で、森博嗣は理系の思考方法を、文系の言葉に翻訳して伝えてくれる、ものすごく貴重な存在だと思う。
今日はダンスもないし、だんな様も仕事で出ていたので、やっとゆっくり昼まで寝て、そのあとも青空の下で読書(もちろん日陰)などして、のんびりすごしました。
今日読んでいたのは森博嗣の犀川先生のシリーズ。
京極さんはシリーズ2作目のころから読み続けてきたけど、「文系の京極、理系の森、っていわれてるんだよ」といわれて、興味をもったので、1年くらい前から読み始めた。
確かに、面白いと思うけど、今のところ、(森博嗣はシリーズ最後までまだ読んでいないものの)私は断然京極さんに軍配。
私も完全なる文系人間だから、京極さんの思考のほうが、ずっとしっくりくる。中善寺さんとならつきあいたいかもしれないけど、犀川先生とはあんまりお付き合いはしたくない…
というか、元カレが、犀川先生とまったく同じような理系の天才だったので、懲りたというのが正解…
犀川先生やその知り合いの理系人間たちの思考方法を見てて、文系人間との違いを目にするたびに、「ああそうそう、だから私とは分かり合えなかったのよね」とか「そー!たしかによくこんなわけわかんないこといってた!」とか、元カレの研究室の知合いにあったとき感じた奇妙さとか、言葉で理解しあおうとしない彼らのナゾの思考方法とか、そんなものがまじまじと思い出されて…
(それでも分かり合えないなりに、そのときは好きだったけど、常にそういう絶対分かり合えないストレスはあった)
そうして見てきた研究所にいる理系人間たちは、森さんのように自分たちのことをこんなふうに言葉で表現できる、またはしようとする人はあまりいないと思うので(犀川先生の助手が、いっさい挨拶をしないのにも現れてるけど、理系人間は、言葉を軽視しがち。元カレとけんかして黙り込まれたとき、「なんでもいいから、今あたまで考えてること口にしてよ!」とキレたら、「いま言葉使って考えてなかったから無理」と本気でいわれたときのショックはいまだ忘れられない)そういう意味で、森博嗣は理系の思考方法を、文系の言葉に翻訳して伝えてくれる、ものすごく貴重な存在だと思う。
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