まだ続くんです、クリスマスイベント…(さすがに疲れ気味←胃が)
昨日のが会社全体のだとしたら、今日のは課内だけの忘年会とでも想像してください。

今日のは、レストランではなく、ペイロールのエレノアのおうちで開かれることに。しかも、エレノアの作戦で、バッフェとかではなく、完全なフォーマルディナーにするという。
たいていパートナーをつれていくのが普通なので、総勢19人。NZでは、家は平気で巨大なことがあるとはいえ、一般の家庭で、19人フォーマルセッティングで座れるテーブルのある家って一体…

場所はWiitfordという地域なんだけど、ここは街中に近いのに、突然地図上からすべてが消える不思議なところ。
今回行ってみて納得した。ある住宅地の角を曲がったとたん、突然郊外のような完全な80キロ道路の牧場地帯になっていた…これじゃ地図は書けなかろう。

エレノアのおうちも、牧場の中に立つ巨大な家で、テラスから見える庭(というより牧場)の池ではカモが泳いでました。こりゃー19人着ても40人着てもびくともしないでしょう。(さすがに40人で食卓を囲むのは無理かもしれないけど)

今日は全員盛装で、ということで、マネージャーのケンはタキシードに勲章6個もつけてきた(←もと空軍。半分はギャグも入ってたみたいだけど。)
6時半に集まって、オードブルとかつまんで1時間くらいしゃべったり、パートナーを紹介したりするのがこっち式。
そして7時半ごろディナーの席につきました。
昨日書いたランチのときの状況を踏まえて、終了は10時ごろと予想。

実際は、
6時半 オードブル
7時半 スープ
8時半 メイン
9時半 デザート
10時半 クリスマスケーキ
そして紅茶とコーヒーで、すべて終了したら11時半でした…ぐったり。食事に5時間!

なぜぐったりするかというと、どれもけっこう量があるものを食べながら(でも、満腹にはならない程度の)、1時間後にはまたなにか違うものを食べるということのくりかえし。
Kiwiには普通かもしれないけど、私にとっては腹6分半くらいのものを、1時間に一度食べる状態が5時間も続くわけで…

日本人は、
朝ごはん→昼ごはんも定食とかで満腹→ちょっとおやつ→夕ごで満腹
というように、5.6時間に一度満腹にするという食生活をあたりまえのようにおくっている。
 こっちでは、
朝ごはん→10時モーニングティー→12時ランチ→3時アフタヌーンティー→6時ディナー
というように、日ごろから2時間に一度、日本人にとっては7.8割程度の量を食べ続けるので、彼らはこうやってだらだら食べ続けることが、そもそもの食習慣なのだ。
満腹→空腹で一回すっきり→満腹、を繰り返したほうが気持ちいい日本人の私にとっては
腹6分半を5回も繰り返すのは胃がつらくなってきてあたりまえ…
逆に1回に食べる量は日本人(とか中国人)のほうがずっと多いということになるわけです。

こういうとき、こういう基本的なヨーロッパ式の食事の仕方をしらなければ、例えば日本の食事産業が進出しようとしてきても必ずつまづくだろうなーと思う。
日本なら、「ランチならこのくらいの量食べるだろう」という量をだしてもこちらでは、1回分の量としては絶対多過ぎるだろうし。
なんといっても10時にはしっかりマフィンとかスコーン食べてますから。

逆に日本人なら、この同じコースを食べても、どんなに長くても2時間以内で終了し、それで
「2時間も食べ続けちゃったね!」
なんていうのが普通じゃなかろうか。

そしてさらに、今日はケンの50歳の誕生日だったので、トリッシュが50本のキャンドルを立てたケーキも作ってきていて、このあとに全員誕生日ケーキまで食べたのでした…
おいしかったけど、気持ち悪いのはなぜ〜。

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実は2週間前、だんな様、トレーラーに車をぶつけられた。

私が4年前くらいにあった事故と状況がほんとにそっくりなのだが、停車中に、巨大トラックの内輪差にやられたのだ。

それから、相手のトラック会社と保険会社相手に戦っているが、まだなかなか状況がすすまない。私も、完全に保険会社に支払わせて、修理がおわるのに3ヶ月近く戦い続けたからなあ。(バンパー落っこちただけなのに)
NZでは、あきらめたほうの負けである。
黙っていては、なあなあになって、終わるのが落ちだ。

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基本的に、NZのサービスは、日本的な意味ではなってない。

ビザのための移民局もそうだし、こうした保険なんかで書類仕事が絡むことになると、とにかく仕事が遅い。日本なら、1週間以内に済みそうなことに、2.3ヶ月は余裕だ。

日本は社員教育が徹底していて、バイトだって、仕事中はちゃんとしたプロとして、きちんとした言葉遣いと態度で接客する。(時には、あまりにマニュアル化されていて、仮面か人形を相手にしているかと思うほどだ。)

NZでは、基本的に、社員教育も接客の訓練もマニュアルも一切ない。
そのかわり、みんなが基本的に親切でにこやかなので、店頭での買い物のような場合は、たいてい気持ちよく対応してくれる。働き者ではないかもしれないけど、親切だから基本的に買い物なんかでのサービスで不快になることはあまりない。

日本では、(私も証券ガール?時代そうだったが)、接客のときの声は、ほとんど1オクターブ高いくらいの勢いで、常にカンペキなプロとして、カンペキな接客を心がけていた。=つまり、それは日常の私とは、違う私であるわけだ。

NZでは、もともと親切な人は親切な接客をするし、そうでない人はそれなり。自分のありのままで仕事をしている。それでも、基本的には親切な人が多いから、特に問題なく社会はまわっている。

そういう意味で、自分のありのままで仕事をしていて、私たちを一番困らせるのがインド人だ。
実は、中国人の話の多い私だが、数の上では、NZのインド人移民は中国人を上回っている。強い訛りはあるものの、英語の流暢な彼らは、中国人より、かなりNZの社会に入り込んでいる。

私はインドには行ったことがないのだが、知っている限りではインド人はフレンドリーではないと思う。例えば、ファーマーズ(ヨーカドーみたいなもんか?)で買い物したとする。
何かプレゼントを買って、ちょっとした包装を頼んだとしよう。ファーマーズでは、普通包装なんかしてくれないので、かわいい包装紙とかはないし、当然マニュアルもない。

Kiwiがレジにいた場合
→「しょうがないわねーんーじゃあ隣の本屋で包装紙を買ってきたら?そしたら、品物とっておいて、ここで包んであげるわ」

インド人がレジにいた場合
→(にこりともせず)「No, I can’t.(できません)」

だいたいこんな感じである。Kiwiは10人いたら、2人はそうでもないが、8人はフレンドリーだ(仕事は早くはないが)。
中国人は10人いたら、2人はちゃんとしているが、8人はダメだ。
インド人は10人いたら、2人は微笑みかけてくれるが、8人はまったく無愛想だ。

日本人は…全員100%の接客仮面をかぶっているので、わからない。日本人がマニュアル仮面をかぶらず接客したら、どうなんでしょうね?
がーんっ
ついに終わってしまった〜6年間続いたシリーズが…(真剣に見始めたのはこの2年くらいだが)
ううう、火曜日の楽しみが…

と、悲しんでいたら、来週、最終回のあとの“farewell”回があるらしい。何をするんだ?最後のナゾの“John”について?

今朝毎朝聞いてる車のラジオでも、女性のDJが悲しんでいた。そしてBICが嫌いだ〜といっていた。男のほうが、“でもBICは金持ちだし”、といったら、“金はあるけど最低だ〜”といわれていた。ま、ね。
でも、この回は、ペトロフスキーのがずっと最低だったんじゃない?

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最初のシーンは、パリで、キャリーとペトロフスキーの元妻とのランチで始まるんだけど、二人ともほんとに素敵。

キャリーは38歳(実際サラ・ジェシカ・パーカーがいくつかは知らない)、ペトロフスキーの妻も40代だと思うけど、どうしてああいう素敵な歳のとり方ができるんだろうなあ…。

日本だと、若けりゃ官軍、年取ることがほとんど悪いことのようにいわれてて、いき遅れだの負け犬だの賞味期限切れだの、男だって未婚で40歳になっちゃったら、“なんで結婚できないんだろうね”と見られる運命から逃れられない。

そして、おじさん、おばさんというものにさせられていく。

なっていくのじゃなくて。

子供が使う“○×おばさん、おじさん”という呼び方は仕方ないけど、大人が、間違いなく悪意をこめて年長者を呼ぶ“あのオバサン”的な使い方がいけない。

英語では、girlの次は、ladyかmadam(別に結婚してなくても女性をマダムと呼ぶ)になって、そこまでだが、日本では女の子の次は→女性→それから、おばさん、としてしまうのがよくない。おばさん、という言葉には、歳をとってきた女性、という以上の意味が強すぎる。

これほど日常普通に使われていながら、深く悪意のこめられたConnotation(言葉の持つ、表面上の意味以上のニュアンスや含みのこと)を持つ言葉は、他に思いつかないくらいだ。

例えば、妻という言葉と比べると、“妻”にはそういう否定的な意味はほとんどないと思われる。
例えば、人妻、という言葉は、AVビデオのタイトルにもよくあるように (何でそんなに人妻がいいのかよくわからんが)、セクシャルな雰囲気も持てる。
団地妻という意味不明の言葉が、いつ作られたのかしらないけど、これが“団地おばさん”じゃ、AVのタイトルにもならない。

“おばさん”という言葉は、女性から、恋愛とか、夢とか、セックスとか、あらゆる瑞々しいものを引き剥がした結果残るものだけをさすように思う。

おばさんは恋愛しない。夢も見ない。Hもしない。
おばさんという言葉には、ほんのちょっとの色気も魅力も感じられない。

だから、おしゃれで、恋愛して、生き生きしているキャリーたち4人のことを、オバサンと呼ぶのはどうやっても不自然で無理なのだ。サマンサなんか、45歳(役では)だというのに!

私もGirlのあとは、Ladyのままで生きていけるようがんぱろう。(東洋人は若く見えるので、こっちではじつはまだGirl扱いなんだけどね…うーん)

NZでも、女性が“おばさん扱い”されないことが、いつまでも女性がいきいきと、楽しそうでいられる理由だと思う。(“負け犬”といわれるかもしれないプレッシャーもないし)
人は、おばさん扱いされれば、オバサン臭くなり、淑女のように扱われれば、そういうふうに振舞えるものだと思うから。

24の季節

2004年11月10日 エッセイ
ここ数日、すごく気持ちのいい晴天が続いている。日差しが強いので日中はすでに半そでで充分なほど。
ほんとに、NZには、季節が2種類しかない。

涼しめの夏(10月〜4月)と
暖かめの冬(5月〜9月)と

それに比べて、日本はなんと激しく季節が移り変わることか。きもちのいい季節になったと思ってもそれは2.3週間と続かない。同じ春といっても、3月と4月と5月はあまりにも違う。昔の人が、日本に24種類の季節を作ったことが心からよくわかる。

立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24sekki.htm

季節の名前だけで、24種類。
(睦月、如月、弥生…という月の名前も大好きなんだけど)

こういうとき、本当に、なんて日本語って綺麗な言葉なんだろうと思う。

英語では、こんなこととても考えられない。

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夏好きの私としては、NZの冬の5月〜9月の日本の夏の時期に2.3ヶ月くらい帰国する生活をするのが夢である。

どうしてもボスの会議と出張の都合で年末のが長い休みを取りやすいから、いつも帰国が年末になってしまうことだけがちょっと残念。

もう5年、冬至と小寒のときしか、日本にいたことがない…
NZではアメリカのことは、それほど大したニュースにはならない。オフィスで周りの人と話してみたけど、“んーブッシュ(あるいはケリー)が勝つんじゃない?でも興味ないわ”というのが、ほとんどの感想。

前にも書いたけど、日本は本気で、こころの底から世界の中心がアメリカと思ってる(まあ経済的、軍事的にそうだからまあそうなんだけど)。
多分ヨーロッパの国や、ニュージーランド含むイギリス圏の国々が(要するに、世界の多くの先進国が)、“確かに経済的には強いけど、だから?”と、冷静に(というかむしろ冷たく)アメリカ人を見ているのと大違いだ。

日本人の、(日米安保条約で守ってきてもらってるのは事実なので仕方ないとしても)、“アメリカは経済的にも軍事的にも世界一だ、ご機嫌損ねちゃ大変大変”という反応は、こうやって外から日本を見ると、滑稽にすら見える。

感じからいうと、例えば今中国の経済がすごい勢いでのびてきているけど、これで完全に日本が経済的にも負けたとしても、私たちには安物の“メイドインチャイナ”のイメージが強く残ってるから、“ふん、そうかもしれないけどそれで?”とか、思ってしまいそうなのと似てる。

世界の歴史から見ると、アメリカのイメージっていまだそういう感じなのだと思う。今は強いけど、尊敬されてはいないというか。
日本は、そんなイメージの国に追従していて滑稽に見えるというか。

ある意味ヨーロピアンの負け犬根性かもしれないけど、だから、ものすごく冷静にアメリカ人を見ているともいえると思う。

そういうわけで、アメリカ大統領選が、日本のように特集されたり注目を集めているということは、ここではまったくない。
(普通にちょっとニュースで放送するくらい)

どっちにしても、アメリカの対ニュージーランド外交が、なんか変わるとも思えないしね…。

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私個人的には、ブッシュが再選したということは、アメリカ人は、大勢では、イラク戦争を容認しているんだなあ、ということが、やっぱりというか、納得というか、最大の感想でした。

アメリカ人がブッシュ=イラク出兵を支持してる以上、私たちに言えることは何もないというか…“世界の中心アメリカを脅かすテロを仕掛けてきた国にやり返して何が悪い”と思ってるアメリカ人に、いえることはないというか。

ただ、うちのダンナ様が、「ケリーは、“当選したら、アジア外交の中心は、日本をやめて中国とする”と公言してるらしいよ」、と言っていたのを聞いて、私は
「あ、それは困る。それならブッシュでも仕方ない」
と思ってしまった愛国主義者(?)です。

雅子さん

2004年10月26日 エッセイ
美智子さんの古希にお祝いとかで、新聞に雅子さんの写真がのっているのを見た。
痛ましいとしか思えない…
そう思っている人は他にもいると思うけど、笑顔がひきつってつらそうすぎる。

雅子さんほど優秀な女性というのは、そうはいない。頭がよく勉強家で、語学が堪能で、外務省でバリバリのキャリアウーマンだった雅子さん。

全国の、自分の力でバリバリ仕事をして生きていきたいキャリア志向の女性の、まさに憧れるポジションに彼女はいたと思う。

それが一転して、“日本一のよき妻、よき母”であることを要求される生活。

きっと、あの世界に行ってしまってから、いろんなことに(想像もできないけど)努力したんだと思うけど、皇太子とのことが最初にウワサになって、報道陣に囲まれたのを、毅然とふりきったキャリアウーマンだった雅子さんの姿を思うと(もう二度と放送されることはない映像だと思うが)、求めるものの方向性が違いすぎて、努力でどうにかなるものではない気がするのだ。

紀子さんは、“はやく結婚して寿退社した〜い”とかいいそうなタイプだから、“よき妻よき母”像を国民から求められる皇室に入っても(まあ“理想の主婦”っつーか)、たいして違和感なくやっていけたんだと思う。

雅子さんは違う。
私なんかと比べるのはおこがましいけど、どっちかといえばキャリア志向の私は、特に“よき妻よき母”になりたいと思ったことはないし、“○×さんの奥さん”であるより、自分自身で責任ある仕事を続けていきたい。
雅子さんも、分けるならこっちのタイプに属してると思うんだけど、それが彼女がつらそうな一番の原因に思えてならない。

頑張ろうにも、自分が頑張りたい方向性と、しなければならない義務があまりにかけ離れていることが。

私が“さー子供作って、家事を完璧にこなし、立派な母として頑張れ、これはとっても重要な仕事なんだからね”といわれても、絶対やる気がわかないように。向き不向きの問題だ。

あのつらそうな笑顔を見ていると、無理に微笑まなくていいよ、といってあげたくなる。
何をいわれようが、無表情でもかまわない、必要なポイントで、ちょっとにこっとだけすれば充分だよって。
>さばえいさん
イエローキャブについては、objectionありませんー

私は生活が地味なせいか、自分であまりそういう人に会ったことないんですが(だいたいシティにほとんどいかんし…)、クラブ関係に勤めてた人で、日本人の中絶に3回立ち会った(通訳頼まれた)、といってる知り合いがいるので、まあいるとこにはいるのでしょうね。

日本人の男の子の場合、イエローキャブになりたくてもなれもしないというのはあると思ってます。

体の問題を抜きにしても、日本人の女の子が、白人にも魅力的に見える要因というのはあると思うんですよ。白人ほどは自己主張しすぎないとか、綺麗好きとか、そういう点も含めて。国際的に、おとなしいことが美徳かどうかはともかく、そういうタイプの女の子を好きな男がいるのはまあ自然なことだから。

やっぱり男女というのは、どんなに平等といったところで、男は女の子を守りたい、女の子は守られたい、という感情を、捨てきることは本能的に難しいと思うので、その場合、“白人男×日本人女”の組合せは、それに逆らうものではないから、よくもわるくも実現可能だと思うんです。

それに対して、“日本人男×白人女”の場合を考えると、日本人男は、やっぱりアピールできるものが足りない。
もともと白人の女の子は強かったりするし、しかも英語がしゃべれなければ日本人男の立場はさらに弱くなり、ろくな仕事にもつけなくて、しかも体力的にも白人男より弱そうに見えたなら、NZの場合、Kiwi女性がよほどのデブ専ならぬ、“ヨワ専”でない限りは、まず無理ってことになるんでしょうね。
(だから、日本国内での“日本人男×白人女”、は実現しやすいのでしょう。外人女性が日本語を話そうとするから男が言葉で優位にたて、しかもちゃんと仕事も持ってて、自分のテリトリーにいるわけだから。西川キヨシとか梅宮辰夫とかみたいに)

単純に、友達の中でも“白人男×日本人女”のカップルはまわりにいっぱいいます(妊婦Gもそう。でも、Gがすごいのは、踏破するのに4日もかかる山をたった一人でリュックを背負ってトレッキングしている最中にだんなさんに出会ったところ)。
それに対して、“日本人男×白人女”の組合せは、過去現在あわせてたった2組しかしりません。
その例外の2組は、先日の、ペキニーズの飼い主のT君と(彼はNZに8年いて、英語もgood enough)、もう1組はすでに結婚してる友達のカップルですが、それは彼女が日本にワーホリに来てるとき、日本で出会ってるから、西川キヨシの法則にあたります。

だんな様がよく使う釣り船の船長で、日本人が大好きで、日本人女性なら誰でもいいから付き合いたくて(できれば結婚もしたくて)仕方のないKiwi(40歳くらい?)がいるのですが、彼に言わせると、“サイテーの日本人でも、Kiwiの女の子より絶対いい。親切だし、気が利くし、かわいいし…”ということになるらしい。

 これはこれで、日本人であるという以外の私たちのパーソナリティーを一切無視してるわけだから、“中国人なら全部キライ”といっちゃうのとある意味で同じで、一種の差別かなーという感じで、あまり気持ちのいいものではありませんが…。
朝会社にきたら、メールが入っていた。

There was finally an addition to the Barclay family this morning.
Heath is now a proud dad to a little girl (Georgia)
5lb 12oz

ついにHeath の赤ちゃん誕生!

5ポンドかー10日以上もオーバーデューしたのに小さいな〜!

あまりに産まれないから、帝王切開かな、とみんな言っていたのだが、そうじゃなかったらしい。
それで、私も帝王切開についてたまたまネットで読んでいて(暇だったんで…)驚いた。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~withkumo/teiou-mokuji.htm

帝王切開って、日本ではこんなに偏見とか、悪い、古いイメージに苦しめられているものだったなんて…

なんで?
義母におなかを痛めてないから、楽だったわねといわれたとか、帝王切開で産んだ子のほうが愛情が薄いのかとか、そんなことに本気で悩んで苦しまねばならないようなところなのか、日本は…

ちゃんと陣痛が来て産んだ子のほうがかわいいでしょ、と言われただと!
そんな非科学的なことあるか〜!(怒)

そんな迷信がまだ残ってて、実際それに苦しめられるお母さんがほんとにいるのだ。しかもいっぱい。
それから、陣痛を赤ちゃんのために耐えて、お腹を痛めて産んだほうがえらい、という雰囲気とか(術後は帝王切開のが痛そうだってば)。

私はNZにいるからというわけではないけど、おなかをいためるということに、なんら美点を見出せない。

こっちでは、普通分娩だって、よく軽い麻酔のようなものを使用して、陣痛の痛みをやわらげて、あとは普通に産むんだって。
ちょっと痛みを和らげる以外は、同じなわけだけど、NZの人はそこで痛みを我慢することに、なんの意味も見出してないから平気で使う方法だ。すごい痛いなら、なんで我慢する必要があるのって。

そりゃできればみんな普通に安産で産みたいに決まってるけど、いろんな理由で、難しいなら仕方ないじゃん!

ほんとにそんな偏見を持ってる人がいることが信じられないけど、このホームページを見る限り、現実のことなんだな〜とちょっとショックでした。

ITのマルコム(2子とも、奥さんは帝王切開)と話していたときのこと。

マルコム「帝王切開(Caesarean)って、意味知ってる?」
私「Caesar(ローマ皇帝シーザー/カエサル)がそうやって産まれたからでしょ」
マルコム「そうだけど、昔は、“私はお母さんがいませんって意味だったんだよ”」

そういわれて、私はちょっとはっとした。
昔は、おなかを切って赤ちゃんを出す、なんてことしてお母さんが生き残れる可能性なんて、ほとんどなかったんだ。

つまり、母親が「私は帝王切開で産みました」という言葉は存在しなかったのだ。
生まれた子供が「自分は帝王切開で生まれた=自分が生まれるために母を殺してしまった」というだけで。

だから、英語の帝王切開のもともとの意味というのは、「ローマ皇帝シーザーは、お母さんのおなかを切って取り出されたので、母のいない人だ」ということだったわけです。
日本語としては、医学用語として単におなかを切って子供を出すというだけにしか、訳されなかったのだろうけど。

本来なら死ぬ確率が高かったのに、それが医学のおかげで、他の病気の死亡率が下がるように、死ななくても済むようになっただけのこと。
この方法がなければ、お母さんは死んで、こどもが“私は帝王切開で産まれました=母はいません”と言っていたかもしれない。

そうやって助かった命なのに、帝王切開で産んだ人に、なんで偏見なんて持てるのでしょうか?帝王切開で産んだ人で、卑屈になってしまう人がいるのでしょうか?

妊娠したことない私に言われたくないかもしれないけど、そう思わずにはいられません。
相変わらず、家を買いたい気持ちは強いので、プロパティプレスやら何やらを、熱心にチェックしてはいる。

まず、シティ近くの高級住宅地は、手がでない。いつかそのあたりに住めたらいいなとは思うけど。でも、高級といっても、日本でけっこうちゃんとした家を買える人なら、買える水準。今はNZドルが強く、為替が不利だとしても、70万ドル(5000万円くらい)あれば、いい住宅地の周辺で、かなり素敵な家が買えると思う。

私たちがねらえるのはもっと安い、30万-40万ドルのレンジ。30万ドルが日本円では2000万円相当といっても、私たちは日本円で稼いでいるわけではないから、30万ドルは、3000万円とかわらないわけですよ。

どうしてこんなに家が欲しいかというと、家賃を払うのもローンを払うのも一緒だから。そして、NZでは不動産取得税みたいのもないし、相続税もないし、いらなければ人に貸して、その家賃でローンを払い続けておけばいいし、たいして面倒もない。

しかも、日本ではおめにかかれないような、すっごい素敵な家がたくさん。
たとえ、3ベッドルームくらいの普通そうな家でも、日本の普通の家より数倍は素敵な家を見つけられる。
おそらく、まずスペースの大きさが最大の違い。
それから、本物の、洋風建築の持つ雰囲気のよさ。

 こうやって、もう1年もオープンホームを見続けて(楽しいんだこれが。普通に住んでる他人の家の中を見て回るわけだから)さらに、ものすごくたくさんあるこっちのガーデン関係の番組なんかをビデオまで取りながら見ていると、今度日本のガーデニング雑誌やインテリア雑誌なんかが、すごく貧弱にインチキくさくみえてしまう。

もともと天井の低く、和室っぽかったところの、ほんの小さい庭に、レンガをしいて“素敵な庭に生まれ変わりました”といったところで、いや、それはちょっと無理が…となっちゃうからね。

KIWIが、“イングリッシュガーデニング”なんていっている日本の庭を見たら、
“いやいやそれは違うだろー”と思うのは
NZで、枯山水のイメージと思われる白っぽい砂利と、コンクリかためて作った安っぽい灯篭もどき(しかも時々中国風?!)なんかをおいて、ジャパニーズガーデンと銘打ってる庭を、ちゃんとした日本庭園の静かな美しさを知ってる私たちが見たとき“いやーこれはいくらなんでもひどいでしょ…”と思うのとまったく同じだと思う。
(実は、一部で人気があって、“Binsai”とか“Zen”テイストの、石を多く使ったガーデンとして認識されている)

日本のイングリッシュガーデン特集をみるのは、NZにある日本庭園(とは私たちには思えない水準の)特集を見るのと、まったくおなじなんだろう。

とりあえず、ウッドデッキを作りました、とかとりあえずレンガをひいてみました、西洋風で素敵でしょ
=とりあえず石の灯篭おいてみました、日本風でしょ
って感じで。
伝統と技術に根ざしていないものは、どんなに真似しようとしても、安っぽくなってしまう。

やはりここではNZ風の庭園を、日本では美しい日本庭園とこたつの生活を楽しむのが一番だ。

**************
ところで、ままりんからお土産のFoli Foliの時計が届きました。白いの。ありがとーかわいーよー♪
よかったねー中国に負けないで、サッカー。

国歌の途中でブーイングなんて、聞いたことない。
本気で腹たちます。

フラットメイトが職場の友達の中国人にそういったら、「Because of WW?、Long history」と言われたそうだが、馬鹿いうなーっっ
ロングヒストリーがあるのはおまえらだけじゃなーいっっ。
そんなこといって、WW?で侵略された国で、そんな非常識なことする国が、中国以外どこにあるっていうのだ。

そんなものを、スポーツの世界に持ち込むなんて、中国人に国際試合に出る資格はない。

何のためのスポーツだ?
そんな意趣返しのようにしか、スポーツ観戦できないなんて、ほんとにむなしい。

ワイルドスワンを読んで思ったし、ここでの中国人をみていても思うけど、中国人はものすごい付和雷同だから、全員がそうなのではなく雰囲気に流されてるだけの人もいたとは思う。でも、日本人は、彼らはこういうことを、平気でできる国民性なのだということを、肝に銘じて外交していくべきだ。

こちらが誠意でいけば、こちらの常識が通じるという勘違いは、今の日本の欠点だ。
何かの社説で、だからといって日本が今度は中国にブーイングすると言うではあまりにも大人気ない、というようなことを書いていたが、そういう問題ではない。

国際試合でそういう態度は恥ずべきことだから私たちはもちろんしないだけ。
私たちの“大人気ない”という常識は、彼ら相手では意味がない。
“誠意ある態度”なんかが、通じる相手なら、こんなことをするはずはないのだから。

もちろん将来に向けて、理解しあおうという努力は続けるべきだけど、現在の段階では、中国人の国民性はこういうものだと肝に銘じて、政治的にはそれ相応のあしらい方を学ぶべきなのだ。
先週の分を埋め合わすべく、今日もお昼で退社した。
今日の午後はロレインとおしゃべり。
ほんとは彼女のうちまで行ってもよかったけど、ちょっと用事があったとかで、結局うちのほうに来てもらった。

彼女としゃべってていつも思うのは、結局英語だろうと日本語だろうと、合う人とは合うし、合わない人とか合わないという基本的なこと。

同じ日本人でも、まったくタイプの違う人 (例えば“世界の中心で愛を叫ぶ”で号泣できる人とか、多分) とは、一緒にいたって話すことなんてないかもしれないけど、たとえ相手が外人でも、気があえばなんの関係もないなー

ロレインもそろそろ本気で子供が欲しいらしく、いつか二人とも子供ができたら、半分ずつ面倒見合って楽しよう、とかロレインの子供を日本語ぺらぺにしよう、とか、産休1年取ったとき、一緒に旅行しよう、とか二人でよくそんなことを話す。

いつのことになるかねー

家を買って、子供作って、そんな、当たり前だけど、今まで本気では考えてはいなかったことが、けっこう目前にせまってて(つーか、うちら二人とも遅いくらいだ)、こうやって大人になっていくのねー(だから遅いって)。

多分、こっち社会では、人は日本よりもっとゆっくり大人になれるのだ。たしかにガキンチョはませてるかもしれないけど、こっちでは何歳で大学にいっても平気だし、みんな30、40歳くらいまで、平気で3年働いて1年ヨーロッパ旅行、お金なくなったらまた働いて半年ぶらぶら、なんてしてる。
老後の不安がないからなせる技かもしれないけど。

私が行ってた大学のコースでも、20代30代40代50代の人がほとんど満遍なくいた。
日本では、学生のうちはいくら馬鹿やってても平気な子供扱いなのに、大学を終わった瞬間、一度社会に出た瞬間から社会的にカンペキな大人であることを常に要求され、仕事しないでふらふらしてようものなら、哀れみの目でみられかねない。
仕事もない、結婚もしてないなんて、人間としてちゃんとしてない、と思われる。
そしてそう思われることを怖いと感じる。
だから、仕事をやめるのも、結婚しないでいるのも、長く旅行にいくのも、ワーホリに行くのにさえ勇気がいる、なんてことになっちゃう。
したいことをすればいいだけなのに。

ここでは、人は旅行に行きたければ行くし、お金がいるなら働くし、仕事がいやなら辞める。したくなければ結婚しないし、それでもなんとも思われない。
そのせいか、未婚の40歳以上にも、とっても魅力的な人がたくさんいる。売れ残りってわけじゃないから。

そのへんが、日本は好きなのに、私が日本社会となじまない最大の理由だなあ。いつでも好きなことしてたいからね。
なんで日本では、そういう風に生きられないのかなあ。
という韓国俳優が人気らしい(こんな書き方するのはわしだけ?)

日本から会社で取り寄せている新聞や雑誌にやたら特集されているから、嫌でも目に入る。週間朝日の表紙に、5週も連続でやたらと“ヨンさま○×”と踊っている。
1.2週ならともかく、5週になるとうんざりだ。そうまでしないと買ってもらえないのか、週間朝日。

だいたいなんで“ペ様”といわん。“ぺ”じゃ林家ペーみたいでかっこ悪いからか。

ヨンといえば、結婚前にだんな様のフラットにすんでいた、炊飯器1つちゃんと洗えず、洗面台の下をいつもびしょびしょにしていただらしない韓国人ヨン、元気かなあ…

またしてもこんな敵を作る書き方するのには訳があって、つまり、NZで韓国人ストーカー男に付きまとわれた経験のある私は、韓国人俳優のファンにはなれないけど、これだけ日本の普通のおばさんたちが、素直に韓国人俳優のファンになれるのは、やっぱり私が思っていたとおり、ふつーの日本人は、韓国人にもともとそれほど偏見なんて持ってなかったっていえるんじゃないの?

と思ったわけ。

韓国人に対して偏見がある、という意見はずいぶん昔から、歴史的なことも含めてあったと思う。
でも、私はNZに来るまで、韓国人にも中国人にもまったく何の偏見もなかった。だって直接の知り合いなんていなかったんだから、それほど強く、好きにも嫌いにもなれないでしょう。

私はこっちに来て、まずなんとしても日本人の女の子を彼女にしようと追いかけ回す多くの韓国人を語学学校で最初に見て、そういうイメージを持ってしまったから、韓国俳優のファンにはなれない。

でも、これだけ日本でふつーの人たちが、白人の“ベッカム様”と同レベルで韓国俳優のおっかけをできるところを見ると、これこそ「ふつーの日本人は韓国人にそれほど悪いイメージなんか持ってなかった証拠じゃん」
と思うんですよ。
持ってたら、こんな風にはファンにはなれない。
“日本人は韓国人に偏見がある”と主張してる人にいいたいんですけどね。

ただ、唯一心配なのは、韓国人男性全般がペ・ヨンジュンみたいかもしれない、という幻想を持った日本人の女の子がワーホリでこっちに来ると、“日本の子のほうが、まだ比較的貞操観念の固い韓国人の女の子より簡単にさせてくれる”という理由で日本人を追いかけまわす、質の悪い韓国人(全員こうじゃないのもあたりまえだけど、こういう人が多いのも事実)の餌食になりやすいんじゃないかなあ…ということだけです。

韓国人にまで、イエローキャブみたく言われないでね。

いくらハリウッド映画を見ても、1人のアメリカ人の友達もいなければ、実はアメリカ人についてほとんど何も知らないのと同じで、実際の韓国人の知り合いなしには、結局は本当の姿は何もわかっていないってことをお忘れなく。
(フォローじゃないけど、韓国人の女の子には、東京ではめずらしい素朴なかわいさの、友達になりたいタイプの子が結構いる。天真爛漫系っていうか。派手な子は、昔の工藤静香系の不健康化粧だけど。男は×。ごめん。ストーカーにこりごり。韓国では情熱的ですまされるのかも)
6年生のある日、体育でみんな着替えて校庭に出ていた。確か秋。始業のベルはなったけど、いつもどおり先生が来るまで、みんななんとなく校庭にばらけていた。

担任K(男)は、校庭に出てくるなり、ものすごい形相で、怒鳴った。
「もう授業ははじまっているのに何やっとるんだ!!」

わけがわからなかった。今まで別に体育のとき、先に整列していろとか、そんなことを言われたことは一度もない。

おそらくKは、ちゃんと整列して、準備体操までやっておけというような怒り方をしたように思う。今までそんなこと言われたことは一度もない。
今考えると、Kは躁鬱だったのだと思う。
機嫌がいいと、外で一緒に遊んでくれる先生だったから。

校庭でばらけていたのは全員なのに、そのうちKは女子にだけ怒り出し、結局女子だけ全員そのまま薄ら寒い校庭にずっと立たされたままで、Kは男子とサッカーを始めた。

Kは男びいきで、こういうことは珍しいことではなかった。
女子の中では、いい加減あからさまに頭に来ていて(理不尽な怒られ方より、女子だけにこういうことをすることに怒りを感じていたように思う)、それをきっかけに、ついに私たちは授業をボイコットすることに決めた。

決行したのは、次の日の3.4時間目、美術の時間。

屋上で2時間、写生の時間があったのだが、写生が始まったら、少しずつ屋上を降りて、全員で、確か第二学習室とか呼ばれる、意味不明の空き教室に立てこもったように思う。

そのまま給食の時間まで戻らず、給食の時間になってから、ついにKがやってきたので、女子全員で押し黙ったまま教室に帰った(この戻るあたりがまだかわいいところだ)。

Kは「おっどうした」と、なれなれしい感じでご機嫌をとってきた。この辺も、躁鬱の人間にありがちな感じ。
今思うと、Kはこのことを、他の先生たちには隠していたのだと思う。

どうしてこういう人間が、小学校の先生になるのだろう。

私のだんな様は、小学校の高学年ではとてもいい先生に当たったらしいが、私はほとんどそういう思い出がない。

1年生の時の井上先生は意地悪だったし、2年の時の秋山先生は、いい先生だったけど、肩の手術のため、すぐいなくなってしまった。3年の関山先生は好きだったけど、やはり産休でいなくなった。5.6年はずっとKである。

日本中に、いい先生は絶対不足していると思う。
ちょっと風邪気味。この予算の忙しい時期に〜っ

佐世保の事件、びっくりしました。
日本のワイドショーは、またその話題で持ちきりなのでしょうか。お父さんがほんとうにかわいそう。

前は暴力的な小説やら漫画やらに反対する人がいても「だからといって、それ見て人殺す子供がいるわけないし」なんて思ってたけど、そうも言えなくなっちゃいます。

********************************
…それで、自分が小学校の時のこととか、ずいぶん思い出したりした。

何かの新聞か雑誌で、子供にストレスが多いことが1つの理由にかかれてたけど、いつでも、子供だって、仲間はずれにされたらどうしようとか、そういうストレスは多かれ少なかれ抱えているのであって、それとは関係ないと思う。まだ本当に仲のいい、安心していられる友達ができないだけに、私は小学校のころが、対人で、一番ストレスがあった。

 中学高校で仲間はずれになる子には、なにかしら納得する理由があったけど、小学校では、深い理由もなく、仲間はずれにされたりするから。

今小学校時代を思い出しても、小学校ではほとんどいい思い出はない。鮮明におぼえているのは傷つけられたことばかりだ。

頭にリボンをつけていっただけで、ぶりっ子と言われすぐにほどいてポケットにしまったこと。ロッカーの上に出しっぱなしになっていたポスターカラーをしまわなかった犯人にされて、つるし上げられたこと。
男の子ばかりをひいきする先生で、同じことをしたのに女子だけさんざん怒鳴りつけられて、みんなで授業ボイコットしたこと。

それでも、私は成績がよかったから、先生には他の子よりはよく扱われていたほうだったけど。(変な先生だからうれしくはなかったけど)

同級生は幼稚だったし、先生は異常だったし(ひいきしたり、意味不明なことで怒鳴ったり)、4年から通っていた塾のほうが数倍楽しかった。塾ではみんな頭もよかったせいか早熟で話があったし、塾の先生は授業もとてもうまくて楽しかったし(小学校の先生とは比較にならない)、休み時間にいつも一緒に走り回って遊んでくれた。

今考えると、あの夏期講習の真夏の12時〜1時までの1時間、塾の前の公園で、エネルギーにあふれた小学5.6年生と毎日汗だくになって一緒に走り回ってくれた塾の先生たちには頭が下がります。今の自分が先生になっても絶対無理だと思う。

そのくらいの年の時は、私は自分なりに「馬鹿な大人(先生くらいしか知ってる大人はいないから、馬鹿な先生、ということだけど)」がどれか、はっきりわかっていて、私が大人不審にならずにすんだのは、そのときの塾の先生たちのお陰だったと思う。

 高校は卒業はしたくなかったけど、小学校は、もういかなくてすむのがうれしかった。

私はその後、私立の中学に行ったので、そのときの同級生たちとはほとんどあったことがない。

でも、今は同窓会があったらいってみたいと思う。

イラク人質

2004年5月4日 エッセイ
ずいぶんいろいろな人がイラク人質について書いているのでちょっと考えてみた。インターネットでは批判している人のほうが多いように感じた。朝日新聞の読者の「声」欄では、ボランティアでそこまでしてえらい、とか同情的な意見ばかり取り上げられている。(朝日のハウスオピニオン自体がそうなんだろう。)

わたし的には、どう頑張っても、批判的な感想しか湧いてこない。

自衛隊だの絡めて考えるからわけわかんなくなるけど、要するに、「退避勧告でているような国に自主的に行った結果、たくさんの人に迷惑をかけました。」

これだけのことじゃないの?

解放されてよかったね、とは思うけど、それとこれとは別。

イラクの人のためのボランティアだったって言うことが、同情的な意見の人には大きいウェート占めてるようだけどそんなの関係ない。

1 「新宿でホームレスのために徹夜で炊き出ししてたら風邪引きました。正義のボランティアをするためだったので、国が医療費持ってください」

2 「イラク国民を助けるために、避難勧告が出されてる地域に行ったら誘拐されました。正義のボランティアをするためだったので、国が救助費持ってください」

3 「モザンビークの戦乱で困ってる人を助けに行きます。正義のボランティアをするためなので、飛行機代払ってください」

全部同じに聞こえない?
1の場合だったら、そんなことやるなら、ちゃんと自分の健康管理くらいして、あったかい格好して、それができないようならそもそもボランティアなんかに参加する資格はないと思う。ちゃんと健康管理もしてるのに、たまたま風邪ひいちゃったのなら、当然自己責任で病院にいってもらう。

また、「ボランティアでイラクの困ってる人を助けるのは正義だ」という一つの思想は、宗教に似て、あくまでそれに共感する人たちの中だけで通用する常識だ。
例えばそんなボランティアに一切興味のない人にとっては、そんなことに税金を使うことに納得いかないだろう。
「そんなことを、こんな不適切な(危険なという意味で)時期にするくらいなら、一人暮らしの老人のためのボランティア手伝ってよ!」という人もいるだろう。
「日本の交通遺児のため、あるいは新宿のホームレスのための活動が先よ!」と、別の正義を信じている人は、言うだろう。
そしたら「ホームレスなんて駅のまわりでうろうろされてほんとに迷惑だから、ボランティアされるのも迷惑よ!」という人もいるだろう。

正義に思えることは、人によって違うのだから、それぞれの正義を主張しあっても意味がないのだ。

だから、国が経費を一部でも請求したことは、私には正しいことと思える。
だって、今回の経費を全部国が払ってしまったら、1のように主張した人にはなんて答えるの?イラク人のためのボランティアには、国が支払いしてあげて、ホームレスのためのボランティアしてる人には何も出ないわけ?
という感じがするもの。

ボランティアの人はえらいけど、それは自己責任で、自費で、自発的にするボランティアだからえらいんであって、「みんなのために偉いことしてるんだから、多少人に迷惑かけてもしかたないし、国がそのくらいの金額支払ってくれても当然でしょ」といい始めたら全然偉くない。

そう思います。
最近入ってきた新しいフラットメイトの1人は、大学3年と4年の間に1年休学してワーホリに来ている。
即ち、帰ったらすぐ4年になるので、就職活動となる。

これは、ある意味、とっても賢い選択だと思う。日本の多くの大手企業が、「新卒」にこだわり続ける以上、大学卒業してからこちらに1年来てしまうと後で就職できずに困ったことになるけど、彼女の場合、日本に戻って新卒枠で就職活動できるわけだから。

どんな会社がいいか、何をしたらいいかもわからないけど、彼女は学校のアドバイザーから、まずそれをはっきりと決めろとせまられるので、いつも困っていたと言う。

確かに大学の4年の段階で、何をしたいかはっきり言える人はすごいとは思う。でも、まだ何も社会を知らない以上(バイトなんかと全然違う)、そう思って入りたかったところに入れても、実は現実と自分の持っていたイメージと現実は違うかもしれないじゃない?

どこかの会社で3年くらい働いてみて、社会で働くということを知り、他の職についた友達とも話したりするうち、ほんとにやりたいことが、現実性をもって見つかることも多いと思う。

だから、「生きたい場所で生きていきたい」という理想を持つ私としては、彼女がまだまったくやりたい事がわからないというなら、3、4年後の自分の価値が高まるような会社をおすすめしたい。

そうでないと、数年後、もしも転職したい、とか1年ワーホリに行きたい、なんて思っても不可能になってしまう。
例えば、新卒で、まあまあ給料もいい会社の事務なんかになって、数年たってしまったら「もしこの会社辞めたら、絶対にこれ以上の給料で私を雇ってくれるとこなんかない」ということになり、転職も退職もままならないことになる(寿になればいいんだろうけど)。まったく身動きが取れなくなるのだ。

どうせ同じように働くなら、まず社会人の始めのころは、何でも勉強と思って第一線でばりばり働こう。そこで何年か頑張った後、その時学んだこと、経験、資格が絶対自分を助けてくれる。
簡単な仕事に移ることも辞めることもいつでもできるけど、年をとってから、何の経験もないのに「頑張りますから採用してください!」といっても、どこも相手にはしてくれないだろう。

私が会社を辞めたときも、「私が会社を辞めても、3年間みっちりやってきた金融業界の経験と資格があるから、ぜったいどこかには就職できる」と思えたから、辞められたというのはある。
そうでなければ、今もらっている何百万かの収入が0になるというのは、社会人にとって恐ろしいものだ。

自分の価値の高まる仕事につくこと。
「特にこれといった経験のない30歳」になってしまったら、生き方の選択肢はとても狭まる。

その後の生き方を自由に選ぶためにも、卒業して就職してからの数年は、突っ走ろう。
そしてそれから自分の生き方を決められる自由を手にしよう。
もうNZヘラルドにここまでかかれちゃったんだから、某もなにも、会社名書いちゃっていいよね…

http://www.nzherald.co.nz/storydisplay.cfm?storyID=3557904&;;

イーストウィンドという会社です。
4.5年前に設立してから、かなりの悪評とともに急成長した(かの様に見える)ワーホリ斡旋業者です。

私も名指しではこういうことは書かないようにしてましたが、NZで一番大きいNZヘラルドに書かれた上、夕方のニュースでも流されちゃったくらいなので、今更匿名でも意味がないよね。それで、だまされる人が減ることを祈りつつ実名で書きます。

オークランドの目抜き通りのど真ん中のビルに、オフィスをかまえていますが、なぜか、地元や永住者には大変嫌われていて、信憑性のほどは知りませんが、怪しいウワサには事欠かない団体です。

例えば、ここでやっている日本円送金は、従業員の一人が札束をかかえて日本から円を運んできてるだけだ、とか、会社の経営がまわらなくなると、この円送金で預かったお金でとりあえず穴埋めしてるとか、講習の名の下に、ただ働きさせてるだけだとか…

繰り返しますが、あくまで人から聞いたウワサです。真偽はしりません。でも、ここにはワーホリの代理店がいくらでもあって、金額がぼったくりなのもここだけじゃないのに、ここだけいつもこれだけ悪いウワサが流されてるって異常じゃない?とは思う。

全部ウワサだとしたら、よほど人から嫌われているんだろう。

この記事では、イーストウィンドに2400ドルも払って紹介されたホテルで、挙句ただ働きさせられたというサカモトさんという女性が、他の人にはもうだまされて欲しくない、といっている、というような記事内容です。そんなに難しい英語じゃないから、興味のある人は記事を読んでみてね。

これから代理店を使おうとしてる人は、ちゃんと良心的なところを使えますように…
ここ何日間か、朝日新聞の記事に、やたら木を切り倒すこと惜しむ記事(読者の声とか)が載ってた気がした。日本が春だからかな。
そうでなくても、そういう関係の記事は日本にとっても多い。
どうして日本人は、そういうのの保護が相変わらず下手なんだろう。

この点は、私が特にNZのルールで大好きなところなのだが、指定された種類の木(日本だったら、きっと杉とか桜の巨木等がそれにあたるのかな)は、一定の太さを越えたら、たとえ個人の敷地にあるものでも、例え20年前に自分が植えたものでも、伐採禁止だ。

 枝が家のほうに伸びすぎて、ちょっと短くしたい、という場合でも市の許可がいる。
だから、そういう木が建設予定地に入っていたとしたら、必ずそれを生かすように設計する。

 自分で家を買うとき、そういう木が庭にたっていたら、それは、そこにあるものとして最初から買うことになる。いやならそこを買わなければいい。
だから、逆に、うかつに、巨大になる木を家を圧迫するほど近くには植えられない。

 もちろん、土地に余裕があるからこそなせる技だけど、いくら日本よりは人の少ないオークランドだって、市内の中心地はそれなりに込んでて、家もたくさんあるけど、このルールのおかげで、幹線道路のまわりにさえ、思わず見上げて和みたくなるような立派な木がたくさんある。
 個人の庭も、とても自分じゃ植えられないサイズの巨木があったりして、すごく素敵。

 日本もそうしちゃえばいいのに。せっかく今の土地の持ち主が、何百年もかけてそこまで大きくなった木を切り倒さずにいても、その子が、孫が、あるいは土地の買主が、「自分の土地を駐車場にして何が悪い」的考えで木を切り倒していったら、3代もあれば、あっという間に木なんてなくなっていく。

 すぐには無理でも、段階的に、「2010年から、幹が○センチ以上の桜、杉等は一切伐採禁止」とかにしちゃえばいいのに。そしたら、それ以降は、それがいやな人は、その土地を買わなきゃいいし、何かの都合でどうしても自分の土地の木を切らなければならない人は、それまでに何とかする。

 そしたら、それからは、よほどの理由がないかぎりは、役所の許可なしには伐採禁止。

 木は、土地と同じ、けしてなくならない土地の一部になるのです。
 そうしたら、自分が土地を売っても、古い木はそこにずっと生き続ける。

 日本の人口増加も止まった事だし、これからはけして不可能なことじゃない。
 個人的にはすごくいい考えだと思うけど、日本では、どの程度の人が賛成してくれることやら。
今回HP作成してみて、なかなか勉強になった。
HP作成支援HPを見ながら、HTML辞典1冊で作ったわけだけど、なんとか形になるものだ。
(たとえソースはひどくとも…)

もともと私は製作モノが好き。
学生時代はずいぶん絵もかいた。(…と遠い目。)
本の表紙を書いたり、目次のレイアウトとか作るのも好きだった。(ね、朝倉)
あのころの手作りの苦労を考えると、たしかに手間はかかるものの、全てキーボードで打ち込むだけの、しかもコピーアンドペーストなんかが使えるHTMLなんか楽なものだと思う。

 でもせっかく作ったのだから、Q&Aでは、ちょっとは役にたちそうなものを目指してみた。

やはりはじめて海外に来る人なんかは不安なものなのだ。
そこにつけいるぼったくり業者がたくさんいるのが許せんが…。

掲示板のほうにも何度もかいたけど、とにかく値段が高いワーホリエージェンシーに大勢の人がひっかかってくる。1年間のサポートとやらで20万から30万も支払って。日本円で20万といったら、こっちでは、為替がサイアクの今でも、普通のフラットに住んで、ちゃんと食べて、余裕で3ヶ月は暮らせる金額です。

みんな気をつけろよ!

学校紹介+空港送り迎え+銀行口座開設Helpと荷物預かり、そんな程度のものに、常識で考えて、日本だったら20万円もはらいますか?
 確かにはじめの一ヶ月くらいは、利用することもあるかもしれないけど、あとはほとんどいらないサポートなのに、たった1ヶ月程度のそれに20万円も平気で払ってしまうのが海外マジック。

 たとえ海外にだろうとどこだろうと、毎日の生活にいるものは、結局そんなに変わらないものなのに、海外となると、いろんなものがいるように思えるんだろね。

riaの住むフラットのオーナーは、そういう留学エージェンシーからも人を紹介してもらってるので、私の近所には20万30万払ってきちゃったかわいそうな人たちでいっぱい。

それで、お金がないから結局旅行にいけなかったとか、車が買えなかったとか言うんだよね。

20万あったら、超リッチな旅行にいけるよ!(日本国内旅行で20万かけると思ってください。しかもこっちのが旅行代はるかに安い)
20万あったらriaと同じ車かえるよ!

こう叫び続けてはや数年。

ちょっとネットで調べればわかることなのに、どうしてみんな、こうもひっかかってくるのかなあ…

良心的な業者を利用しようね!
(特にイースト○ィンドとラス○リゾート、CL○には気をつけて…)

査定の時期

2004年2月26日 エッセイ
というわけで、面接だった。すでに、自分の評価というか、自己査定のペーパーを提出していたので。
おおむね、自分で書いていたとおりのまあまあの評価をもらったようである。組織改正(というほどたいそうなものでもないが)で、仕事がちょっと増えるというので、昇給率もちょっとよくしてくれたらしい。日本で稼ぐことと比べたら、たかがしれているが…。

 その際、MD(ここの唯一の日本人)に、「TOEICとか一回受けてみれば?」といわれた。
それは、やっぱり資格として持っていれば、ゆくゆく役に立つよ、という親心+もうちょっと英語頑張れよ!というプレッシャーが含まれているのだろう…頑張ります。

 私は実はそういうやり方(=テスト用)で英語を勉強したことが少ない。高校まで、他の教科の偏差値の足を を英語がひっぱりまくる、というような状態だったし、英検も、大学1年のとき受けたのが最後か?
 だから、しゃべれるように見えることと、そういう基礎が浅いことは別問題で、翻訳なんかしてるときに、簡単な文法でぼろがでることもあるわけだ。

 今になって、あー大学受験のとき、もうちょっと前向きに文法やっといてもよかったな…と思ってます。役に立たない受験用英語の知識というのもあるけど、でも、しっといて損はないことだってたくさんあるわけだから。(よく聞いとけよ!受験生!)

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ria

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